2月のにんにく
したたかな
やつだ!
愛って人間のあいだで はやってるらしいですね。
脇の方にそっと居てこそ 主役になれるのかもね。
油こそ元気だ! 元気の光だぞ!
自然の恵みって、最近 オシャレになったわよ。
うまそうなものは たいがい光ってるぞ!
良い体になりそうな スープだな!
したたかな
やつだ!
温室育ちの
元気なやつら。
思えば1年目の畑では、うぶなナイトだった。
たいせつなナスを虫が食べているのを見れば、せっせと虫を捕まえてはつぶしていた。
「おらのナスはオラが守る!」と思いながら。
でも、もう今は違う。
ちょうどよく、いい加減になってきた。
虫に対しても「ナス?食べていいよ〜。」というZUBORAな気持ちがある。
それほど頑張って虫を捕まえることもない。
畑を歩きながら、その日の気分で「あ〜、コヤツはとっとこ〜♪」みたいな感じで捕殺する。
「食べていいよ〜」と「捕殺しとこ〜」が同居しているのが2017年のスタイルになった。
なんで、こうなったんじゃろうか。
しゃかりきに捕殺しても、ダメな時はダメだってことが分かったから?
そうかもしれない。
暑い中で1時間、虫を捕殺し続けてもダメな時はある。
「もうお手上げで〜す」と諦めたら、1週間後には虫がいなくなることもある。
たぶん、ズボラなほうがリラックスできて、気分よく続くのだと思う。
あきらめが肝心という言葉は理解できる。
どういうことか、説明することもできるだろう。
でも、あきらめを体験することは、そう多くないのかもしれない。
ラム酒が香る、あのシュークリームの甘さを、思い出すことはできる。
でも、実際に食べなきゃ「おいしい!」って感じられない。
おいしさを知ってる事と、おいしいと感じる瞬間は別物なのだ。
そういうことを、ぼんや〜りと考えながら、虫に食べられるナスたちを眺める7月だった。
あきらめを味わい続けるのも楽しい。
元気な人が、まわりの人にも元気を分けるようなシーンがある。
それで空気が少し軽くなったり、場の温度がちょっと上がるみたいなことってあるなぁと感じる。
そういう「元気のおすそわけ」は、畑でも見かける。
たくさん収穫はできないけれど、冬は葉物をつくった。
その葉物のまわりだけ、やわらかい草が育つ。
オオイヌノフグリの青色が、ちょこんと咲いている。
僕は「ああ、そういうのって、あるよ。人間でもある。」と思う。
別に、まわりを元気にさせようとしてるんじゃない。
勝手にお互い元気になっちゃうんだろう。
意図しなくてもいいことあるね〜、と感じる。
良いことを狙って行うのが、普通になりすぎてるのかもしれないと思う。
もうちょっとズボラにいこうかな〜。
小松菜といっしょに、こんな気持ちを畑から持ち帰る日もある。
2016年1月〜6月のことを振り返って書いてます。
ふつうに暮らしていて「環境」って言葉に、ピンとこなかった。
「う〜ん、水かな?空気かな?」
みたいなフワフワした感じだった。
でも、思い当たる節が多くなっている。
3年目の畑で全体を見ていると、小さな変化が、大きな変化を象徴しているのを感じるから。
畑にやわらかい草が増えて、全体的にかわいらしい見た目になる。
それは小さな変化なんだろう。
一方で大きな変化もある。
土の中が酸性じゃなくなって、やわらかい草が生きられるようになったってことが、大きな変化なんだと思う。
2年前、1年前、そして今と繋がっている実感がある。
そんなことを考えていた。
冬はニンニクが目立つ。
ニンニクの周りだけ、人の世界で言えば町のようだ。
寒い中なのに、野草が賑わっている。
そういう関係性に胸キュンだ。
なんでだろう。
食べるための野菜が影響して、食べることに関係ない野草が元気ってこと。
なんか、直接的じゃない関係性って、いいよね・・・と感じてるのかもしれない。
ニンニクが思わぬところで「勝手にいい影響あたえてるゾ、コイツ〜!」みたいな感じだ。
1年前よりも大きい。
自然な畑でも、おいしくて、ある程度おおきなニンニクを作れた。
ライ麦の根が土を「耕す」ことを自然耕と言うそうだ。
そういう狙いで2度目のライ麦だったのだけど、あまり向いていないかもしれない。
本来なら2メートル近くになるはずなのに、1メートルちょっとで成長が止まってしまうから。
必ず虫たちが住んでいる。
特にクモには人気だ。
高層タワーだ。
トマトを早めに育てることにした。
衣装ケースを温室みたいにして、春の早いタイミングで種をまいたのだ。
これはうまくいったと思う。
僕が住んでいる地域で、トマトを直まきすると成長が遅い。
トマトが口に入るのは8月以降になってしまう。
でも、今年は早めに育てたので、7月においしくトマトをいただけた。
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